since 2007.8 by K-ichi

 

今日、日本の地上では46年ぶりになる皆既日食が見られた。全国的にあいにくの天気で、34万円の悪石島ツアーも雨に見舞われた模様。NHKの報道などによれば、一般は上陸できない硫黄島およびその周辺へのクルーズツアーが当たりだったよう。

浜松でも8割が欠けるということで、木漏れ日観察や手鏡ピンホール投影などを考えていたが、結局出番なく終わってしまった。
中区で仰いでいたのだが、10時過ぎの2~3割のころやピークを過ぎた11時半ごろなどに、雲越しにちらほら見えた程度。撮ってはみたものの、斑の雲のために、形もよくわからない。

ちなみにピンホールの穴径は、焦点距離の1/1000程度がよいらしい。大きすぎればぼやけ、小さすぎればシャープになるものの暗くなってしまう。
太陽像は焦点距離1000mmで約1cmに見える。腕をいっぱいに伸ばした先の5円玉の穴の大きさ、ともいう。穴が5mmなので、腕が50cmと見積もれば計算は合う。

1cmの穴(反射面)で10mも飛ばせば、そこそこ見栄えのする太陽像が建物の壁に映るのでは、と期待していたのだが、アテが外れた。日本南岸沿いを舐めていく2012年5月21日の金環日食は、ぜひとも晴れてほしいもの。

雲は地上からの眺めを遮るが、宇宙からの眺めには実は都合がいい。

気象庁のサイトでは、気象衛星ひまわりによる画像が公開されている。日照を反映している「可視光」画像を見ると、月による影が地上を西から東へ移動するのがわかる。
通常の衛星写真は30分おきだが、このイベントのために予備機で15分間隔で撮影し動画化したものが公開された。ここに貼ったgifはそのひとつ。影は左上から右下へ動いていく。右下から中央下部へゆっくり動く薄ら白い部分は、太陽光の海面の反射だろうか。
影の解説、および過去事例に関するページや、今回の画像映像をまとめたページもある。

シャトルの不具合等で帰還が遅れている若田さん。衛星よりはるかに低空ながらも、この影を見られたかも。

 

今日、衆議院が解散した。

小泉内閣の事実上の指名を受け、'07年9月に揚々の船出をした安倍内閣は、結局1年で化粧が落ちて退陣。続く福田内閣も、数々の迷言を残して'08年9月に退陣。2代続いた投げ出し内閣の、後をついだ麻生内閣が発足してほぼ1年。漫画オタクで人懐っこいスタイルでそれなりの支持率で迎えられ、早々に解散に打って出ると言われながらも、ほぼ任期満了まで来てしまった。
アメリカ発の金融の崩壊など社会的な影響はあるにせよ、自らの言動などから支持率を低迷させ、タイミングを逸した挙句の満了間際解散であることは、誰の目にも明らか。知事選、市長選で連敗後、都議選でも惨敗。もう勝てる要素がみつからない。かたや民主は、アクの強い小沢をなんとか退かせて、当たり障りのなさそうな鳩山を立ててくる。資金団体のスキャンダルは出たものの、強い追い風で吹き飛んでしまった。政権奪取が第一、対立軸を作り政局を起こすことが第一の小沢に担がれて就いた党首であるところから、政策的にはなんとなく心配な面もある。ただ、自民にはもうげっぷ、いっぺん民主にやらせてみても、という風は収まりそうもない。

先の見えぬ海を「日本」という船が行く
山積みの荷を抱え もう埠頭には戻れない!?
Oh!ときめくようなガイドラインも無いじゃない
舵取るのは誰でしょう!? 居ない…!?
茶番や下司な争いのために 捨てないで明日あす
貫いて夢を
希望を胸に国民たみの未来儚く
風向きばかりを 皆 妙に気にしてる

昨日の音楽寅さんフジテレビ)は、茅ヶ崎の海岸を清掃し、そのお礼に桑田圭祐が歌をプレゼントする、という内容。番組ラストの曲は「Oh!クラウディア」。2番の歌詞を替えて披露していた。いまの政治状況を憂いて、か。
桑田圭祐は、「栞のテーマ」もあれば「マンピーのG★SPOT」もある。一方でAAA活動(昭和八十三年度! ひとり紅白歌合戦など)を続けたり、「ニッポンのヒール」を歌ったりもしている。

選挙に落ちればタダの人、霞を食っては生きてはゆけないから、名前を連呼せざるを得ないのは解るけれど、もう少し大局を見、国の行く末を語れるリーダーは出てきてくれないものか。目の前に給付だの補償だのもいいけど、大船に乗れればこそ安心な社会になると思うのだが。
もっとも、いまの政治を選んだのは国民たみではある。
(敬称略)

 

先日、広域農道で「おちばの里親水公園」なる看板を見つけた。山奥で落ち葉をウリに公園? と訝りながらも、ふらりと寄ってみる。細い脇道を行くと、その先には広い駐車場のある公園があった。廃寺跡だの富士見岩だの、案内板も整備されている。何の気なしにちょっと登ってみたが、途中で雨に降られたため引き返した。

地図 調べてみると、あの山々は湖西連峰と呼ばれる一部で、富士見岩、大知波峠廃寺跡などは有名なよう。

地図は電子国土ポータルより。
浜名湖西岸を走るR301から県道4号で多米峠へ向かい、最初の信号を右折北上。この広域農道(地図:緑色)は1kmほど平坦が続く。やや右にカーブしつつ登りだした左手に案内看板があり、細い脇道(地図:黄緑色)へ入る。この道は古い峠道で、豊川道と呼ぶらしい。沢音を聞き、畑を抜け、ちょっと大振りな一本杉を過ぎると、30台は停められそうな駐車場を備えた公園(地図:緑色塗潰)にたどり着く。これが「おちばの里親水公園」で、建家があり、トイレや井戸水道、自販機などが備わる。広場は芝が敷かれ点々と木が植えられ、ビオトープらしきものも。川にも下りられ、東屋では家族連れがバーベキューで占領していることもある。

公園のあたりが今川の起点となっていて、公園入口にはその支流が流れる(地図にはない)。その直前に、富士見岩への登り口看板がある。ここからスタートして、公園から見える北側の尾根を、左回りにぐるっと回る(地図:赤線、一部不明部分あり)。

ミカン畑を両側に、沢を左に見ながら山へ。平坦な道は、右へ折れながら急になる。少し蒸す。タマシロオニタケ、コナカブリテングタケなどの毒菌を見つける。

マツオウジ マツのような切り株からは、カサの直径が20cm超のマツオウジが。図鑑のようなバサバサした雰囲気ではない。また日本の毒きのこによれば、黄色味が強くツバのないタイプは毒菌の可能性があるという。これにはツバがない。

コテングタケモドキ 急な道を登りきると1本目の鉄塔にたどり着く。先日途中撤退した際には、この足元にコテングタケモドキの群生があった。大振りなキノコで、こげ茶色で、美味そうな見栄えがする。誰かが一本抜いて転がしてあったのは、食えないテングタケ類と判って打ち捨てていったのか。

後日、とある掲示板に、ウラベニホテイシメジのつもりで食べた、というスレが立っていた。2時間ほどたって二日酔いのようなめまいが起こり、5時間ほどで回復した、とのこと。ネット上には、試食したがなんともなかった、というページもある。

コシロオニタケ 鉄塔を過ぎるとさらに蒸し、羽虫も多くなる。
星型に裂けたコシロオニタケを見る。
その後、未舗装の扇山(大知波)林道に出る。

ヒメバライチゴ この林道およびその周辺には、ヒメバライチゴがいたるところに群れている。初めは、日当たりが悪く弱ったカラスザンショウの実生群生か、などと思ったが、もちろん特有の匂いはない。よく見ると、干からびたキイチゴ状果の残骸があった。ヒメバライチゴはこれが初見。

せいぜい膝を超える程度の樹高。棘はあり、毛はない。今春のシュートは5対程度、前年のはやや少ない奇数羽状複葉。葉は黄緑色で元気のなさそうな色。このあたりのキイチゴ類は、これが圧倒している。クサイチゴもちらほら混ざって生えていたが、雑種らしき個体はなかった。

林道に出たら、看板に従って右折東進する。数分で瀬戸山林道との三叉路へ着く。ここから左の尾根道をまた登っていく。入り口では、干からびかけた黄色味がかったイグチとコテングタケモドキがお出迎え。コテングタケモドキはあちこちで見かける。

謎イグチ 登っていくと、カサの直径が15cmオーバーの謎のイグチに出会う。ひび割れた、こんがりキツネ色のカサに黄色い管孔。柄は短く見た目繊維質、写真では下部がややオレンジ色にも見える。2本一緒に生え、すぐ近くに幼菌がもう1本。

さらに登り、2本目の鉄塔を過ぎるとすぐにピークに着く。その先は南西方向が開けた鞍部になっている。ここは日を遮るものがない。むっとした照り返しがつらい。進行方向を仰ぎ見れば、3本目の鉄塔、および4本目と目指す岩塊が見える。

イタビカズラ 鞍部を過ぎると3番目の鉄塔、そして藪になる。人ひとり分の空間を進む。葉柄基部に虫癭(ウコギハグキツトフシ)をつけたヤマウコギ(オカウコギ?)が見られる。
さらに先は、一気に急登になり、背丈を越える笹薮。道が整備してなければ突入したくない。途中にある岩場にはイタビカズラが豊作。

振り返ると、いままで通ってきた鉄塔が見える。右奥が2番目、手前が3番目、そしてイタビカズラ。富士見岩まではもう一息。

富士見岩 4番目の鉄塔の西側にごろんと転がった富士見岩。半分ぐらいしか写ってない。湖西市、浜松市、豊橋市の境界の印が、岩の上につけられている。

浜名湖とその周辺が一望できる。高度的に適当で、遠からず近からずが良いのか、とても立体感を持って鳥瞰できる。猪鼻湖方面は鉄塔越しになるのが残念。季節柄、当然ながら富士山は見えず。
北から南西に向かって、湖西連峰が連なり、その上に居ることが実感できる。西方、木々の頭の隙間には、赤岩尾根と思われる特徴ある丸い山。伊良湖岬までは見えてなさそうだが、渥美半島の山も靄の中に浮かんで見える。

クリイロイグチモドキ 尾根道には豊橋自然歩道の看板があり、北は本坂峠方面、西は石巻方面とある。登ってきた道は、鉄塔の巡回路なのかもしれない。

西へ進むと、背丈を越える藪の中ながら整備された道が続く。眺望はほとんどない。アップダウンもさほどない尾根道。途中に三角点がある。クリイロイグチモドキを一本見つける。
右手に電波塔があるはずだが、見通し悪く見当たらず。

大知波峠廃寺跡1 やがて大知波峠へ到着。

ここには廃寺跡があり、国指定の史跡(平成13年指定)となっている。平安時代10世紀中ごろに建立され、11世紀末には廃絶。古文書、口伝などがなく謎の山寺であったが、多くの発掘物により調査が進んだ、とのこと。見晴らしの良い広場に並ぶ白い礎石が見える。

写真の左枠外が富士見岩方面。

大知波峠廃寺跡2 大知波峠廃寺跡3
案内板にはあるが、廃寺跡の主だったものは、実はその西側にある。わずかな踏み跡を行くと、まっすぐ立ったマツの林。そしてその足元には、低い草に埋もれつつある礎石の並びがある。素人目にも、何棟もの建物が建っていたことがうかがえる。

大知波峠 この峠には、廃寺跡ということもあって、看板やら石塔やらがたくさん立っている。道脇には、焼き物でできた地蔵が並ぶ。草に埋もれ、一部は割れていた。

尾根道の豊橋自然歩道は直進し、多米峠へ向かう。直交する峠道は、左手湖西市から登ってくるのが豊川道、右手豊橋市へ下るのは長彦自然歩道(大知波道)。さらに右前方へは、石巻山方面へ向かう未舗装の林道も来ている。廃寺跡は左手前から左奥にかけて。

豊川道を下っていくと、再び暗い林の中へ。途中、鍋が割れるほどに冷たいという鍋割の水への分岐がある。

暗い道脇にはフクロツルタケのようなものが、おおむね一列に並んで生えていた。柄の根元が割れて中空なのが見えた。立派なツボがあるがツバはない。

不動の滝 やがて再び扇山林道へ戻る。左折東進し、すぐに右に下る豊川道の看板がある。もうしばらく東進してから下れば不動の滝があるようなので、こちらを選ぶ。
不動の「滝」は、梅雨時でこの状態。

アブラゼミがやる気なくミンミンゼミの真似をしているようなハルゼミの声を聞く。街中では聞かれない。
水の流れとハルゼミを聞きながらさらに下山。さきほど別れた豊川道と合流し、軽トラックなら通れそうな道を進む。植林帯で、面白みもなく、暗く、足元がとても水っぽい。そうこうしているうちに、親水公園北側のミカン畑に出た。



ところで、「おちばの里」とは、落ち葉と大知波を掛けたネーミングだったんだろうか。

 

浜松市北区の、ふそう風力による風力発電の風車工事。

6月いっぱいで西側6号機までの設置、および残り4基の残土処理などがひと段落した模様。三岳越えの市道下町川名線が通れるようになっていた。現地の林地開発許可標識には、工期が7月14日から11月末日までに再び設定されていた。

完成した風車の周りでは、電柱が立てられるなど、送電に関わる工事がされているよう。
風車の足元には、電気工事用のバケットつき車両。

工事看板より拾ってプロットしてみた。地図は電子国土ポータルより。

看板は実際の地図と異なる部分があるため、想像に任せた部分がある。
赤点は風車、赤線は新規に作られる管理道路。

立須へのアクセスが容易になったので、登ってみた。
岩に登って振り返った山頂の上に、1号機のブレードがほぼまるごと見える。2号機は先端がごくわずかに、3号機は斜面に半分隠れている。高圧鉄塔を挟んで、4号機以下は尾根に沿うように並んで見える。7号機が完成し、8号機のポールを建てたところだろうか。

風車列は、おおむね立須から富士山を望む方角に並んでいる。いまの季節はまず望めないが、冬に完成したころには、回る風車列の右脇に雪化粧の富士山、という景色が見られそう。

ところで先月末の朝、車載トレーラーなみの大型車に、ライトグレーの大きな樹脂形成物らしいものを4個積んだ車両を見かけた。ブレードの付け根あたりのパーツかと思ったのだが、どうなんだろう。

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